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あなたの暇つぶしになれば

今週のお題「最近読んでるもの」 小説と本が好きな理由

 私は読書が好きだ。最近は「推し燃ゆ」「ハンチバック」「火花」の、芥川賞受賞作を読んだ。どちらかというと大衆文学が好きだったのだが、純文学を読んだことがないのでチャレンジしてみようと思ったのだ。本当の本好きには及ばないが、世間に一般には本好きと呼んでも差し支えないような人間だと思っている。なので、Hatena Blogのトップぺージから「お題を探す」をクリックし、今週のお題として「最近読んでるもの」がPC画面に映ったときはなかなかに嬉しかった。やっと好きなことについて書けるぜと。しかし、いざ書こうとすると、キーボードの上に置いた10本の指をどう動かそうかと迷ってしまう。書きたいことは沢山あるはずなのにどう書けば良いのか分からないのだ。

今週のお題「最近読んでるもの」

 

 冒頭でも書いたように、最近読んでいるものは「推し燃ゆ」「ハンチバック」「火花」の芥川賞受賞作だ。それ以外では、村上春樹の「ねじまきクロニクル」や森見登美彦の「四畳半タイムマシンブルー」、知念実希人の「ヨモツイクサ」。読みかけで少し時間が経ってるのは伊坂幸太郎の「逆ソクラテス」と三島由紀夫の「葉隠入門」。

 最近が具体的にどこまでを指しているのかが分からないので、ここ1ヶ月と少しの期間で読んだ、記憶にある本を列挙した。たったの6冊しか読めていないが、これでも平日の寝る時間を惜しんで読んでいるのだ。仕事で散々目を酷使し頭も疲れた後、さらに脳みそと目を酷使するのだ。ある意味拷問だ。自傷行為で成長するのは筋肉だけである。読める時間はせいぜい30分~1時間程度。読むスピードは遅いかもしれないが本を読まない日はない。だから一応本好きだと自分では思っている。

 芥川賞受賞作を読もうと思ったのはあるマンガの影響だ。「芥の死に際」。作者は竹屋まり子さんだ。マンガアプリで何回も読み。紙で発売されると知った時はアマゾンで予約をし、紙が届いてからも何回も読んだ。主人公が夢と現実の間で苦悩しながら、純文学の作家になるために頑張るのだが、障害の連続でなかなか報われないのだ。それでも前に進む主人公の姿が非常に魅力的で引込まれてしまう。

 私を虜にするマンガの主人公を虜にする純文学。そしてその純文学の新人賞において、無名の作家に履かせる下駄としては日本一番高い下駄、芥川龍之介賞。通称芥川賞

 私が読んでる芥川賞受賞作はそういう経緯で私に購入された者達だ。(ちなみに小説は全て書店で買うようにしている)

 私が本を好きな理由は、読んでるときの没入感と、胸に穴が空いたような読後感が好きだからだ。

 映画やマンガやアニメは好きだが、その作品のなかに入り込むという没入感を最も感じさせてくれるのは、私にとっては読書だった。没入感は、今生きている自分によく馴染んだこの日常ではなく、かといって、どこか遠い所に旅行に行ったような非日常でもない所に連れて行ってくれる。体はここにあるのだが、意識だけはこの世界を離れる。大昔から日本には禁足地と呼ばれ、人が本来立ち入ってはならない場所が存在する。居ることだけでも許されない、そういう異界に放り込まれたような気味悪さを感じるのに、そこにいる文章は私の目が離れることを許さない。より馴染みのない、もっと奧に深いところに引きずり込む様にして意識に絡みつき、それから逃げることはできないのだ。第六感とでもいうべき普段使わない感覚は極限まで研ぎ澄まされ、溺れた人間が酸素を吸うことしか考えられなくなるように、自分の意識は異界の中で、ただただ情報を取り込むことしか出来なくなる。そのくらい没入感を得られる本は滅多にないが、今のところ芥川賞受賞作の「推し燃ゆ」「ハンチバック」「火花」はそういう没入感を味わうことができた。文の量も小説の中では決して多い方ではないため読み切りやすいし、どちらも舞台は現代なのでとても読みやすかった。ちなみにそういう没入感で一番強烈な体験が出来たのは村上春樹の「海辺のカフカ」だ。あれはもう一度没入感を味わうために、1度読んで以降はまだ1回も目を通していない。またあの世界に意識を放り込めれば良いなと思う。

 そしてその没入感の後、意識がこっちの世界に戻ってきた瞬間の読後感がまた癖になる。異界の何かは私の意識に執拗に絡みつき痣が出来そうなほどだったのに、その時が来ると氷が一瞬で溶けるようにあっさりと私の意識を手放す。ほんの数分数時間とはいえ、息が詰まるような中で感覚を研ぎ澄まし、必死に馴れない異界で過ごした時間は濃密だ。圧倒的な質により、意識がこっちに戻ってきた瞬間は、半分夢の中にいるようで頭がハッキリしない。しかし自分が本来いるべき世界はこっちなのだ。それを認識するのに少々時間がかかる。段々と意識がハッキリしてくると、それと同時に何か大切な物を無くしたかのような喪失感がゆっくりやって来る。とても大切なものなのに、一体何を無くしたのか、それすらも思い出せない。まるで、何者かがこの世界からそれだけを排除したかのような、そういう違和感をこの世界に覚えてしまう。しかし目に入るのは、ダークブラウンのフローリングに白い壁、雑に畳まれた掛け布団と埃を被って少し白くなったテレビだ。西向きの窓から入る傾いた太陽の光は、白いレースカーテンによって弱い光となりそれらを照らしている。正真正銘、いつもの自分の部屋である。私は背中から体の中に手を突っ込まれ、心の中の熱の塊を幾らか抉り取られたような気分だった。しかし、何故かその喪失感に安心している私もいる。それは必然的であり、むしろこの世の理に沿った正しい現象なのだとさえも感じる。部屋の中で一人、虚無と愛しさが入り交じるよく分からない感情を、抉り取られて穴になった所に詰め込む。そうして少し背伸びをして、固まった体をほぐす。私は壁際のカラーボックスの前にしゃがみ、大きさも文字もバラバラに収納された本棚の中へ、手に持っていたそれをしまうのだ。

 最近読んでいる本の面白さを伝えたいはずが、本が好きな理由を書いてしまっていた。本の中身を人に説明できるくらい細かく理解するのは難しい。自分をしっかりと理解している必要がある。どうしてその本に引込まれたの?どんなシーンが好き?どんな描写が心を打つ?登場人物に惚れた瞬間は?一生胸に刻みたいと思ったセリフとかある?そんなもの沢山ある。沢山ありすぎて分からなくなる。私の頭では覚えきれない。自分がどんな主義主張を持っているのか。どういう精神状況だったか。どんな体調だったか。そんなことでも捉え方と感じ方は変わるのだ。論理も感性も結局はその時その時で変化する。たまに、本当にこの作品を面白く読めているのだろうかと思ってしまうが、その時その時の自分にとっての面白いと楽しいを拾うしかない。

 平日も土日ももっと本が読めるように、目下の課題はいかに早く正確に仕事を終わらせるかであるかを自分への戒めとしてここに残し終わります。