思案中

あなたの暇つぶしになれば

今週のお題「芋」 芋料理への思い出

 ジャガイモ、サツマイモ、里芋、山芋。芋、旨い。この時期に芋といえばサツマイモだろう。甘くて旨いし、スーパーでは焼き芋状態で販売されているから、すぐに食べられる。料理する手間が無いのはもちろん、片付けの手間も無いのがなお良い。芋からずれるが、サツマイモの他にも、栗やキノコや米や魚、秋は自然の恵みが嬉しい猛威を振るって我々の食を充実させてくれる。収穫の秋に万歳だ。最近、自炊が面倒くさく、料理をしていない。料理は煮込むだけで出来上がる、麺類一択の生活だ。私は久しく「芋」を食べてない。今週のお題は「芋」だが、実家にいた時に食べた芋料理を思い出して書いてみる。

 

今週のお題「芋」

 

 芋と言えば何があるだろう。知っている範囲では、ジャガイモ、サツマイモ、里芋、山芋の4つだ。

 ジャガイモはカレーやシチューや肉じゃが、あとお味噌汁等、値段が安いし何にでも使えるのが良い。飲食店では、マックのフライドポテトやセブンのハッシュドポテト、お菓子ではじゃがりことかポテチとかだな。ポテチいえば、小池屋の青い袋のポテチには驚いた。しかし意外と売れ行きは良いらしい。あと、驚いたのが、居酒屋のポテサラだ。初めて居酒屋でポテサラを見たときは驚いた。黒と焦げ茶の中間のような色で、縁が凸凹とした不定型な渋い皿の上に、綺麗に盛り付けられていた。黒こしょうがたっぷりと振りかけてあった。「ジャガイモのほのかな甘さとねっとり感が、黒こしょうのスパイスで引き締まる」とか、食べてもないのに脳内で食レポをしてしまった。「それにしても、何故居酒屋にポテサラ?」絶対酒に合うわけがないと思っていた。しかし、意外と酒との相性は良いらしい。ポテサラの意外な一面を見た。いつか酒と一緒に食べてみたい。

 それにしても、ジャガイモはどうしてこんなに沢山の料理と合うのだろう。人間で言えば、どこの会社でも仕事ができる、優秀なビジネスマンみたいだ。これからは「どんな人間になりたいですか?」と聞かれたら、「ジャガイモみたいな人間になりたいです」と答えることにしよう。

 

 サツマイモは甘いから、スイートポテトや大学芋など、もちろんそのまま焼いて食べても良い。最近は石焼き芋専門店などが東京にはあるらしい。ニュースで見た。大学の時にいたサークルの後輩も、大のサツマイモ好きで、いつかサツマイモ専門店を開きたいと言っていた。彼女曰く、滅茶苦茶沢山の種類があって、それぞれ食感も味も違うとのこと。私はサツマイモは好きだが品種とかまでは興味が無かったので、そのことをその時に初めて知った。

 サツマイモの食感について、日本ではねっとり派とホクホク派に分かれていると、私は勝手に予想している。実家にいたときはホクホクばかりを食べていた。何故ならそれしかなかったからだ。それが社会人になり実家を離れたら、ねっとりタイプしか見かけなくなった。ねっとりを食べて分かったのは、自分がホクホク派の人間だということだ。ねっとりしていて甘さが強く、口の中にそれが居座る(物理的に)。甘いのが識名人には良いかもしれないが、私には甘さが強すぎた。また、油断して熱々に齧り付いてしまった時は、上の歯の裏側に張り付くので火傷をする。そういう訳でねっとりは苦手だ。それに対しホクホクは、あっさりした飽きのない甘さだ。また、熱々を食べても口の中にへばり付くことは滅多にないので、安心して食べられる。そういうことで、私はホクホク派なのだ。あぁ、懐かしきホクホク。また食べたいな。

 

 里芋は醤油ベースの汁に、人参などの根菜類と、秋が旬のキノコ類、そして葉物野菜や鶏肉とかと一緒に煮込んた奴が一番好きだ。煮込むと鶏肉から脂が出て、キノコと一緒に良い出汁を提供してくれる。里芋は小さい頃は苦手だったが、ホクホクしてるくせに噛んでるとねっとりした食感があって、それが今は美味しいと感じるようになった。私の地域では芋のこ汁というが、別の地域ではまた別の呼称があるようだった。具材もそれに伴って変わるらしい。恐らく元は同じだったであろう料理が、地域によって少しずつ違いが存在するのは面白い。一番美味しいのはどれなんだろうと気になってしまう。

 山芋はおろし器でゴシゴシ擦って、椀によそった白飯にかける。味付けは醤油でも良いが、そこに白だしを入れると少し上品な味と香りになる。ネギはマストだ。特に自然薯は最高だ。香りが強く味も濃い。書いてて食べたくなってきた。長芋も、同じように擦っても良いが、ステーキみたいに焼いて食べてみたことがある。割と美味しかった。薄く切って片栗粉をまぶして焼いたような気がする。味付けは鶏の照り焼きと同じだったはずだ。噛むとサクと噛み切ることができ、口の中でホクホクしていた。そしてソースの焦げが旨い。ヘルシーなのに美味しくてご飯が進んだので、結局ヘルシーの意味が無くなった日だった。

 

 そういえば、実家に帰った時に両親が家庭菜園としてジャガイモを作っていた。今年のことだ。その栽培が面白くて印象に残っている。大きいポテチの袋に土をいれて、その中でジャガイモを栽培していたのだ。袋の大きさは約40~50cmほど。どうやらそれはホームセンターで買った栽培キットのようだった。土もあり種芋もある。袋をプランター代わりにできるので、あと必要なのは水だけだ。終わったら袋は畳んで捨てられるし。これなら庭がないアパート暮らしの人でも栽培を楽しめる。なかなか良いアイデアの商品だと思った。水をやるだけで、新鮮な採れたてのジャガイモを食べられるようになるのだから。

 ところがどっこい、両親曰く、後日いざ収穫したところ、全くお芋は出来ていなかったようだ。土が悪かったのか、水やりが良くなかったのか、それとも日光か気温なのか。ジャガイモは小学生の頃に授業の一環で作ったことがある。記憶の中では大きいジャガイモが沢山取れた光景が浮かぶ。だから私は、植物が道路のコンクリを突き破って出てくるように、ポテチの袋を内側から破き、外へはみ出ざるを得ない、丸々と立派に成長したジャガイモが収穫出来るだろうと、そう予想していたのだが、それは夢想で終わってしまった。あの栽培キット事態が良くなかったのか?とも思ったが、まさかそんなものを商品にするわけも無い。きっと、たまたま色々な悪い要因が組み合わさって、不作となってしまっただけだ。来年こそは良いジャガイモが作れれば良いなと思ったが、両親がまたトライするかどうかは分からない。

 遊びもかねて、来年は自分で栽培してみようかなと、思ってみたりした。