今週のお題「夏の思い出」
久々に何か書きたいと思い今週のお題に取り組むことにした。いや、「何か書きたい」なんて、常日頃文章に向き合うライターとかエッセイストとか、そういう人達が言うなら分かるけど、何でもない私がいうと大げさでカッコつけで叩きたくなるな。でも書きたいんだもん。なんかこう、もんもんとしてる頭の中とか心の中とか、そういうのを吐き出したいんだよな。空っぽかもしれんがな。でもまぁそのためのはてなブログだもんね。
かといって特に書くこともない夏の思い出。20代後半の人間が、夏の思い出というお題に対して「特に書くことがない」なんて、寂しすぎだな。そして実は私は大して寂しいとは感じておらず、世間一般的には寂しいことなんだろうなー程度にしか感じられないこともまた、寂しいことなのだろう。本当人生ってなんなん。とまるで人生が自分の力ではどうしようもないものであるかの如き態度を取っているが当然そんなことはない。夏の思い出がないことも、私がそのことについて何も感じないことも、全て私の怠慢が故である。そう、人生の怠慢。
しかし頑張ってもどうにもならない時もある。そんな時はどうすれば良いのだ。神は乗り越えられる試練しか与えないというが私から言わせれば嘘である。そこらへんのSNSでも何でも見て欲しい。現代日本において、試練に破れた生ける屍がいかに多く存在することか。もはや生ける屍が社会を回しているといっても良い。あぁ神よ、一見生きてるように見えますが中身は屍です。もう少し、もう少しだけ個人個人の力量を見て、それに見合ったレベルへと引き下げていただくことはできないのでしょうか。
相変わらずメンタルがへらっていることを確認したので明日も温泉に行こうと思う。
というか夏の思い出。お題に投稿するからには何か書かねば。
海に落ちたことがあります。夜釣りで。ひっさびっさに高校の頃の友人達と釣りキャンプしようということになって、キャンプ場近くの港に行ったんですよ。最初は海に落ちないように気を付けてたんですけど、時間が経つにつれて、全く釣れないことと、夜の港、という状況に段々飽きてきて、すっかり緊張感が無くなってしまいました。それでふと足下をみたら、エサにすらなれなかった無残な姿になったイソメがいたので、せめて母なる海へ返してやろうと思ったんですよね。今思えば命をエサとして扱いそのうえ「せめて返してやろう」って何様だよ。そんで、この位置からだと海まで届かないからもっと際まで近づこうとしたんだけど、楽しさで完全に浮かれてて、何故かヘッドライドもその時offにしてて、1歩また1歩と際に近づきました。で、何歩目かの足を踏み出したとき、あれ、こんなに堤防(歩くスペースのとこ)広かったっけ?って疑問が頭をよぎりつつ、踏み出した足を下ろした瞬間に落下感とザバンという音と全身が液体に包まれる感覚が同時に来ました(ほんと馬鹿)。さて、夜中に海に落ちた後人間は何を考えるのか。まず、パニックなります。海に落ちた。これだけでパニックですが真っ暗なので何も見えないのでパニック×2です。ですが奇跡的に、すぐに海落ちたことを理解して息を止めることができたので、苦しみでもがき溺れるという事態はさけられました。そして、何としても息は止めたまま、不用意に動かない、というこの2つだけをパニックなりながらも実行しました。おかげで少し冷静になります。しかしそのせいで色んな思考が浮かびます。まずやっちまったという思考が浮かびます。もしこれで○んだらまたは捜索とかになったら一体どれだけの人間に迷惑がかかるのか。想像しただけでも恐ろしい。そしてその次に、海であるあるの怖い話を思い出します。よくあるのは、足を捕まれて海中にひきこまれるやつです。幸いその気配はありませんでした。そしてその後、じっとしてるのに全然海面に浮かばないなと気づきます。実は息を止めたのはいいけど、落ちる瞬間にほとんど息を吐き出してしまってたみたいで、肺にほとんど空気がありませんでした。急に苦しくなってきます。そしてこの港の水深がどれだけあるのか分かりません。もしかしたらだいぶ深いところまで潜ってしまったのかもしれない。衣服も水を吸って重くなり、夏だから私はズボンとTシャツ1枚という格好だから、服が空気を保ってくれている可能性は0に近いんじゃないか。だとすると自分で海面上がらなくてはならないじゃないか。そして猛然ともがきます。海面に向かって、しかし、いくらもがいても海面にでない。光はなにもない。何も見えない中で液体をかきわけ上を目指します。あるのは触角だけでした。本当に苦しくなったときにやっと海面に出ました。ハッハッと息を吸って、同時に大丈夫か!という切羽詰まった声がします。私はきっととんでもない顔をしてたと思いますが、「んぁあ↑↑、大丈夫大丈夫」と強がります。幸い、港の壁は目の前にありました、あとはここに手をかけて登ればいいと思いましたが、水の中だから体は安定しなくて、さらにどこを掴めばいいのか分からない。そもそも掴むところあるのか?ですがこれまた幸い、ちょうど手を伸ばしたところに段差があったのでそこに手をかけ、あとは懸垂みたいに体を引き上げれば良いだけです。そして右足を段差にかけ、右足で体を支えてさらに上へ手を伸ばします。やっと堤防の上(歩くスペース)に手が届き、これも懸垂の要領で体を引き上げます。この時ほど筋トレで懸垂をやってて良かったと思ったことはありませんでした。堤防の上に立って、少しずつ落ち着いていきます。すると突然足ががくがくし、体が寒くなってきました。やっぱりパニックで怖かったようです。体に異常ないか確認していると、腕には壁をよじ登るときにできたのか。牡蠣か貝の殻で切り傷ができてました。とくに薬指は上から下までスぱぁんと切れてます。これまた幸い、傷は全て浅かったです。その後、冷えた体と心を落ち着かせるため、友人の車で温泉にいきました。以上、オチはありません。
本当に幸運だった。あのあとどうして自分が助かったのか考えてみたところ、色んな偶然が重なってくれてたおかげだということが分かった。
・落ちたのが港の外ではなく中だったこと
・波がおだやかだったこと
・落ちた付近に舟など障害物はなく、頭をぶつけたりしなかったこと
・海落ちたと理解しすぐに息を止められたこと
・私は泳ぎが得意だ、という自信があったので、不得意な人に比べたら恐怖やパニックによる影響が少なかったのでは無いかということ
・港の壁に段差があり、全て私の手が届くところにあったこと
・筋トレをしてて自分の体くらいなら引き上げたり持ち上げたりするくらいはできたこと
・友人がいてくれて心に余裕があったこと
・実は私はあの時○ぬ運命だったが、神仏やご先祖などの有難い力のおかげで生かされたのではないかということ。(なお、見当違いだとしても、感謝しても罰は当たらないこと)
というような感じです。夜中で眠いのでだらだらと書きましたので読みづらいでしょうがご容赦ください。そして読んでくれてありがとうございます。本当に懲りたので次はこんなアホなことはしません。ちゃんとライトはおonにしてライフジャケット着ます。反省してます。もし海に行かれることがあったら、皆さんもお気を付けて楽しんでください。あと自分の命を守るためにも、自分の体をどうこうするくらいの筋トレはしてると良いかもしれません。
それでは。